一週間前に入院しましたが、延命などもできず、おとといの夜なくなりました。
一時は回復の兆しもあり、もう大丈夫なのかな。なんて思っていましたが、お酒の飲み過ぎで肝硬変の末期。移植もできず、最期は見守ることしかできなかったけど、その間にお誕生日のお祝いとか、たくさん話しかけたりとか。自己満足の分類では少し悔いないようには過ごせたと思います。
近しい人がなくなるというのは、とても辛く、涙を流すことしかできず、夫の手伝いもほんの少ししかできてないのかな、なんて考えつつ。寂しい気持ちでいっぱいです。
これから葬儀ですが、亡くなってからすぐに葬儀屋の手配をしなければならず、とても酷ですね。。。夫は、そんな中冷静に連絡を取り、いろーんな人に電話していました。。。大変な時に、正直すごいと思いました。
夜は色々考えて、眠れなかったみたいです。
わたしも、なくなった当日は全く眠れなくて、朝を迎えて、そのまま話合いとかたづけしていました。
なくなる4時間前くらいにお見舞いに行って、血圧が70くらいで、他?も低めで、でも昼間と同じくらいで落ち着いてるとのことだったのですが、夫の弟くんが泊まりでいてくれて、家に帰って安心なんかしてテレビゼロ見てて、見終わって、夫がパットでも連絡はいるんだよ!なんて得意げに言っていたので、これは怪しい!と思って電話かけたらならなくて、急いでケータイみろ!!って確認したら弟くんから連絡があって、もうあと1時間も持たないって言われて。いっそいで着替えて、なるべく急いで病院に向かって。
夫が駆けつけたらまだ夜勤の先生いなくて、ギリギリ話しかけられたかな。私は、駐車場に止めて、なるべく急いで走って、向かったんですが、
たった今、死亡を確認しましたって言われて。
おとうさん、って一言声かけて、
顔を見たら、全く動いてなくて。
夫は、うっ、と目頭を押さえて泣いていました。弟くんは介護の仕事してるので、みとったことあるのかな。冷静にしてました。
看護師さんも、寄り添う声をかけてくれたり、お医者さんも、お酒が好きなお父さんで大変だったと思いますが、最後まで好きにお酒を飲んで、自由に過ごせたんではないでしょうかと。結構、家族なら心に響く声をかけてくれたのでした。それが、何回もほかの遺族に対して言っていた言葉だとしても、うちの家族にはぶすっと突き刺さった言葉になったのは言うまでもないと思います。夫も弟くんも苦労していたので。お父さんのことで。。。
最期は、自発の呼吸はできなくて、酸素量もきっと苦しくないところまでは上げてくれて、穏やかに脈が止まったようです。
お父さんの足はとても冷たく、腕とかも時間が経つにつれてひんやりしてきてしまったけれど、ふわふわの髪の毛を撫でたら、そこは変わらず体温のように暖かかったです。
看護師さんはテキパキと、今拭いたり綺麗にしますね、と声をかけてくださいました。
泣いてる暇はないとよくきますが、すぐに葬儀社を決め、夜中なのに来てくれた葬儀社の方にはとても感謝です。。あっという間に、お父さんが運ばれていって、なぜか車がいってるときに、綺麗な黒猫をしろと茶のぶち猫が、みゃわと盛りをつけて追いかけていたので、なんとなく吹き出しそうになりました。こんな時に、、、、みたいな。でも、その、ずこ、みたいな感じが少し癒されましたし、そのねこちゃんたちのように、お父さんが旅立ったから、すぐにお母さんに会えたのかな?と思います。この病院に初めて来た時に、わたしは、布が被った人、きっとお亡くなりになった方の真後ろを通ってしまい、嫌な予感がしましたが、まさかこんなにはやくお父さんが同じ道を通ることになるなんて、。思わなかったです。
ご冥福をお祈りいたします。